スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】
スポンサー広告
知識(Erlernen)が体験が(Erleben)
 これに和してモスコフスキーは、同時に立派な鍛冶(かじ)でブリキ職でそして靴屋であった昔の名歌手(マイステルジンガー)を引合いに出して、畢竟(ひっきょう)は科学も自由芸術の一つであると云っている。しかしアインシュタインが、科学それ自身は実用とは無関係なものだと言明しながら、手工の必修を主張して実用を尊重するのが妙だと云うのに答えて次のような事を云っている。
「私が実用に無関係と云ったのは、純粋な研究の窮極目的についてである。その目的はただ極めて少数の人にのみ認め得られるものである。それでせいぜい科学の準備くらいのところまでこの考えを持って行くのは見当違いである。むしろ反対に私は学校で教える理科は今日やっているよりずっと実用的に出来ると思う。今のはあまりに非実際的(ドクトリネーア)過ぎる。例えば数学の教え方でも、もっと実用的興味のあるように、もっとじかに握(つか)まれるように、もっと眼に見えるようにやるべきのを、そうしないから失敗しがちである。子供の頭に考え浮べ得られる事を授けないでその代りに六(むつ)かしい「定義」などをあてがう。具体的から抽象的に移る道を明けてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解を強いるのは無理である。それよりもこうすればうまく行ける。先ず一番の基礎的な事柄は教場でやらないで戸外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所(よそ)のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白墨(はくぼく)の線とによって、大きさや角度や三角函数などの概念を注ぎ込むよりも遥かに早く確実に、おまけに面白くこれらの数学的関係を呑み込ませる事が出来る。一体こういう学問の実際の起原はそういう実用問題であったではないか。例えばタレースは始めて金字塔の高さを測るために、塔の影の終点の辺へ小さな棒を一本立てた。それで子供にステッキを持たせて遊戯のような実験をやらせれば、よくよく子供の頭が釘付け(フェルナーゲルト)でない限り、問題はひとりでに解けて行く。塔に攀(よ)じ上らないでその高さを測り得たという事は子供心に嬉しかろう。その喜びの中には相似三角形に関する測量的認識の歓喜が籠っている。」
「物理学の初歩としては、実験的なもの、眼に見えて面白い事の外は授けてはいけない。一回の見事な実験はそれだけでもう頭の蒸餾瓶(レトルト)の中で出来た公式の二十くらいよりはもっと有益な場合が多い。やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に公式などは一切容赦してやらねばいけない。公式は、丁度世界歴史の年代の数字と同様に、彼等の物理学の中に潜む気味の悪い怖ろしい幽霊である。よく訳のわかった巧者な実験家の教師が得られるならば中頃の学級からやり始めていい。そうしてもラテン文法の練習などではめったに出逢わないような印象と理解を期待する事が出来るだろう。」
「ついでながら近頃やっと試験的に学校で行われ出した教授の手段で、もっと拡張を奨励したいのがある。それは教育用の活動フィルムである。活動写真の勝利の進軍は教育の縄張りにも踏み込んでくる。そしてそこで始めて、多数の公開観覧所が卑猥(ひわい)なものやあくどい際物(きわもの)で堕落し切っているのに対して、道徳的なものをもって対抗させる機会を得るだろう。教授用フィルムに簡単な幻燈でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授は、世界漫遊の生きた体験にも似た活気をもって充たされるだろう。そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼(ま)の当りに経験すれば、それまでとはまるで違ったものに見えて来る。また特にフィルムの繰り出し方を早めあるいは緩めて見せる事によって色々の知識を授ける事が出来る。例えば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、昆虫の羽の運動の仕方などがそうである。それよりも一層重要だと思うのは、万人の知っているべきはずの主要な工業経営の状況をフィルムで紹介する事である。動力工場の成り立ち、機関車、新聞紙、書籍、色刷挿画はどうして作られるか、発電所、ガラス工場、ガス製造所にはどんなものがあるか。こんな事はわずかの時間で印象深く観せる事が出来る。更に自然科学の方面で、普通の学校などでは到底やって見せられないような困難な実験でも、フィルムならば容易に、しかも実際と同じくらい明瞭に示すことが出来る。要するに教育事業を救うの道はただ一語で「もっと眼に浮ぶようにする」(die erhhte Anschaulichkeit)という事である。出来る限りは知識(Erlernen)が体験が(Erleben)にならねばならない。この根本方針は未来の学校改革に徹底させるべきものである。」
スポンサーサイト
【2006/02/19 18:17 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
愁然(しゅうぜん)
「なぜ? だいじょうぶ! 忘れはしない、ガ『アクーリナ』ちッとこれからは気をつけるがいいぜ、わるあがきもいい加減にして、おやじの言うこともちッとは聴くがいい。おれはだいじょうぶだ、忘れる気遣いはない、――それはなア……イ」、ト平気で伸(のび)をしながら、また欠伸をした。
「ほんとに、『ヴィクトル、アレクサンドルイチ』、忘れちゃアいやですよ」。ト少女は祈るがごとくに言ッた、
「こんなにお前さんの事を思うのも、慾徳ずくじゃないから……おとっさんのいうこと聴けとおいいなさるけれど……わたしにはそんなこたアできないワ……」
「なぜ?」ト仰(あ)お向けざまにねころぶ拍子に、両手を頭に敷きながら、あたかも胸から押しだしたような声で尋ねた。
「なぜといッてお前さん――アノ始末だものオ……」
 少女は口をつぐんだ。「ヴィクトル」は袂時計(たもとどけい)の鎖をいらいだした。
「オイ、『アクーリナ』、おまえだッてばかじゃあるまい」トまた話しだした、「そんなくだらんことをいうのは置いてもらおうぜ。おれはお前のためを思ッていうのだ、わかッたか? もちろんお前はばかじゃない、やッぱりお袋の性(しょう)を受けてるとみえて、それこそ徹頭徹尾(てっとうてつび)いまのソノ農婦というでもないが、シカシともかくも教育はないの――そんなら人のいうことならハイと言ッて聞てるがいいじゃないか?」
「だッてこわいようだもの」。
「ツ、こわい。何もこわいことはちッともないじゃないか? 何だそれは」、と「アクーリナ」の傍へすりよッて「花か?」
「花ですよ」ト言ったが、いかにも哀れそうであッた。
「この清涼茶は今あたしが摘(つ)んできたの」トすこし気の乗ッたようす「これを牛の子にたべさせると薬になるッて。ホラ Bur-marigole ――そばッかすの薬。チョイとごらんなさいよ、うつくしいじゃありませんか、あたし産れてからまだこんなうつくしい花ア見たことないのよ。ホラ Myosotis、ホラ菫(すみれ)……ア、これはネ、お前さんにあげようと思ッて摘んできたのですよ」ト言いながら、黄ろな野草の花の下にあッた、青々とした Bluebottle の、細い草で束ねたのを取りだして「入(い)りませんか?」
「ヴィクトル」はしぶしぶ手を出して、花束を取ッて、気のなさそうに匂いを嗅いで、そしてもったいをつけて物思わしそうに空を視あげながら、その花束を指頭でまわしはじめた。「アクーリナ」は「ヴィクトル」の顔をジッと視詰めた……その愁然(しゅうぜん)とした眼つきのうちになさけを含め、やさしい誠心(まごころ)を込め、吾仏とあおぎ敬う気ざしを現わしていた。男の気をかねていれば、あえて泣顔は見せなかったが、その代り名残り惜しそうにひたすらその顔をのみ眺めていた。それに「ヴィクトル」といえば史丹のごとくに臥(ね)そべッて、グッと大負けに負けて、人柄を崩して、いやながらしばらく「アクーリナ」の本尊になって、その礼拝祈念を受けつかわしておった。その顔を、あから顔を見れば、ことさらに作ッた偃蹇恣雎(えんけんしき)、無頓着な色を帯びていたうちにも、どこともなく得々としたところが見透かされて、憎かった。そして顧みて「アクーリナ」を視れば、魂が止め度なく身をうかれでて、男の方へのみ引かされて、甘えきっているようで――アアよかッた! しばらくして「ヴィクトル」は、……「ヴィクトル」は花束を草の上に取り落してしまい、青銅の框(わく)を嵌(は)めた眼鏡を外套の隠袋(かくし)から取りだして、眼へ宛(あて)がおうとしてみた、がいくら眉を皺(しか)め、頬を捻じ上げ、鼻まで仰(あ)お向かせて眼鏡を支えようとしてみても、――どうしても外れて手の中へのみ落ちた。
【2006/02/18 20:53 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
四顧(みまわ)
これはどう見ても弱冠の素封家の、あまやかされすぎた、給事らしい男であった。衣服を見ればことさらに風流をめかしているうちにも、またどことなくしどけないのを飾る気味もあッて、主人の着故(きふ)るしめく、茶の短い外套(がいとう)をはおり、はしばしを連翹色(れんぎょういろ)に染めた、薔薇色(ばらいろ)の頸巻をまいて、金モールの抹額(もこう)をつけた黒帽を眉深(まぶか)にかぶッていた。白襯衣(シャツ)の角のない襟は用捨もなく押しつけるように耳朶を(ささ)えて、また両頬を擦り、糊(のり)で固めた腕飾りはまったく手頸をかくして、赤い先の曲ッた指、Turquoise(宝石の一種)製の Myosotis(草の名)を飾りにつけた金銀の指環を幾個ともなくはめていた指にまで至ッた。世には一種の面貌がある、自分の観察したところでは、つねに男子の気にもとる代り、不幸にも女子の気に適(かな)う面貌があるが、この男のかおつきはまったくその一ツで、桃色で、清らかで、そしてきわめて傲慢(ごうまん)そうで。己があらけない貌(かお)だちに故意(わざ)と人を軽ろしめ世に倦(う)みはてた色を装おうとしていたものとみえて、絶えずたださえ少(ち)いさな、薄白く、鼠ばみた眼を細めたり、眉をしわめたり、口角を引き下げたり、しいて欠伸(あくび)をしたり、さも気のなさそうな、やりばなしな風を装うて、あるいは勇ましく捲き上ッたもみあげを撫でてみたり、または厚い上唇の上の黄ばみた髭を引張てみたりして――ヤどうも見ていられぬほどに様子を売る男であッた。待合せていた例の少女の姿を見た時から、モウ様子を売りだして、ノソリノソリと大股にあるいて傍へ寄りて、立ち止ッて、肩をゆすッて、両手を外套のかくしへ押し入れて、気のなさそうな眼を走らしてジロリと少女の顔を見流して、そして下にいた。
「待ッたか?」ト初めて口をきいた、なおどこをか眺めたままで、欠伸をしながら、足を揺(うご)かしなから「ウー?」
 少女はきゅうに返答をしえなかッた。
「どんなに待ッたでしょう」トついにかすかにいッた。
「フム」ト言ッて、先の男は帽子を脱した。さももったいらしくほとんど眉ぎわよりはえだした濃い縮れ髪を撫でて、鷹揚(おうよう)にあたりを四顧(みまわ)して、さてまたソッと帽子をかぶッて、大切な頭をかくしてしまった。「あぶなく忘れるところよ。それにこの雨だもの!」トまた欠伸。「用は多し、そうそうは仕切れるもんじゃない、そのくせややともすれば小言だ。トキニ出立は明日になッた……」
「あした!」ト少女はビックリして男の顔を視詰た。
「あした……オイオイ頼むぜ」ト男は忌々(いまいま)しそうに口早に言ッた。少女のブルブルと震えて差うつむいたのを見て。「頼むぜ『アクーリナ』泣かれちゃアあやまる。おれはそれが大嫌いだ」。ト低い鼻に皺を寄せて、「泣くならおれはすぐ帰ろう……何だばか気た――泣く!」「アラ泣はしませんよ」、トあわてて「アクーリナ」は言ッた、せぐりくる涙をようやくのことで呑みこみながら。しばらくして、「それじゃ明日お立ちなさるの。いつまた逢われるだろうネー」
「逢われるよ、心配せんでも。さよう、来年――でなければさらいねんだ。旦那は彼得堡(ペテルブルグ)で役にでも就きたいようすだ」、トすこし鼻声で気のなさそうに言ッて「ガ事に寄ると外国へ往くかもしれん」。
「もしそうでもなッたらモウわたしの事なんざア忘れておしまいなさるだろうネー」ト言ッたが、いかにも心細そうであッた。
【2006/02/18 20:52 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
微塵
あるいはまたあたり一面にわかに薄暗くなりだして、瞬く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、降り積ッたままでまだ日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞(かす)む――と小雨が忍びやかに、怪し気に、私語するようにパラパラと降ッて通ッた。樺の木の葉はいちじるしく光沢は褪(さ)めていてもさすがになお青かッた、がただそちこちに立つ稚木(わかぎ)のみはすべて赤くも黄ろくも色づいて、おりおり日の光りが今ま雨に濡れたばかりの細枝の繁味(しげみ)を漏(も)れて滑りながらに脱けてくるのをあびては、キラキラときらめいていた。鳥は一ト声も音を聞かせず、皆どこにか隠れて窃(ひそ)まりかえッていたが、ただおりふしに人をさみした白頭翁(しじゅうがら)の声のみが、故鈴(ふるすず)でも鳴らすごとくに、響きわたッた。この樺の林へ来るまえに、自分は猟犬を曳いて、さる高く茂ッた白楊(はこやなぎ)の林を過ぎたが、この樹は――白揚は――ぜんたい虫がすかぬ。幹といえば、蒼味がかッた連翹色(れんぎょういろ)で、葉といえば、鼠みともつかず緑りともつかず、下手な鉄物(かなもの)細工を見るようで、しかも長(たけ)いっぱいに頸を引き伸して、大団扇(おおうちわ)のように空中に立ちはだかッて――どうも虫が好かぬ。長たらしい茎へ無器用にヒッつけたような薄きたない円葉をうるさく振りたてて――どうも虫が好かぬ。この樹の見て快よい時といっては、ただ背びくな灌木の中央に一段高く聳(そび)えて、入り日をまともに受け、根本より木末に至るまでむらなく樺色に染まりながら、風に戦(そよ)いでいる夏の夕暮か、――さなくば空名残(なご)りなく晴れわたッて風のすさまじく吹く日、あおそらを影にして立ちながら、ザワザワざわつき、風に吹きなやまされる木の葉の今にも梢をもぎ離れて遠く吹き飛ばされそうに見える時かで。とにかく自分はこの樹を好まぬので、ソコデその白楊の林には憩わず、わざわざこの樺の林にまで辿(たど)りついて、地上わずか離れて下枝の生えた、雨凌(しの)ぎになりそうな木立を見たてて、さてその下に栖(すみか)を構え、あたりの風景を跳めながら、ただ遊猟者のみが覚えのあるという、例の穏かな、罪のない夢を結んだ。
 何ン時ばかり眠ッていたか、ハッキリしないが、とにかくしばらくして眼を覚ましてみると、林の中は日の光りが到らぬ隈(くま)もなく、うれしそうに騒ぐ木の葉を漏れて、はなやかに晴れた蒼空がまるで火花でも散らしたように、鮮かに見わたされた。雲は狂い廻わる風に吹き払われて形を潜(ひそ)め、空には繊雲(ちりくも)一ツだも留めず、大気中に含まれた一種清涼の気は人の気を爽(さわや)かにして、穏かな晴夜の来る前触れをするかと思われた。自分はまさに起ち上りてまたさらに運だめし(ただし銃猟の事で)をしようとして、フト端然と坐している人の姿を認めた。眸子(ひとみ)を定めてよく見れば、それは農夫の娘らしい少女であッた。二十歩ばかりあなたに、物思わし気に頭を垂れ、力なさそうに両の手を膝に落して、端然と坐していた。旁々(かたがた)の手を見れば、半(なかば)はむきだしで、その上に載せた草花の束ねが呼吸をするたびに縞(しま)のペチコートの上をしずかにころがッていた。清らかな白の表衣をしとやかに着なして、咽喉(のど)元と手頸のあたりでボタンをかけ、大粒な黄ろい飾り玉を二列に分ッて襟(えり)から胸へ垂らしていた。この少女なかなかの美人で、象牙をも欺(あざ)むく色白の額ぎわで巾の狭い緋の抹額(もこう)を締めていたが、その下から美しい鶉色(うずらいろ)で、しかも白く光る濃い頭髪を叮嚀に梳(とか)したのがこぼれでて、二ツの半円を描いて、左右に別れていた。顔の他の部分は日に焼けてはいたが、薄皮だけにかえって見所があった。眼(まな)ざしは分らなかッた、――始終下目のみ使っていたからで、シカシその代り秀でた細眉と長い睫毛(まつげ)とは明かに見られた。睫毛はうるんでいて、旁々(かたがた)の頬にもまた蒼(あお)さめた唇へかけて、涙の伝った痕(あと)が夕日にはえて、アリアリと見えた。総じて首つきが愛らしく、鼻がすこし大く円すぎたが、それすらさのみ眼障りにはならなかッたほどで。とり分け自分の気に入ッたはその面(おも)ざし、まことに柔和でしとやかで、とり繕ろッた気色は微塵(みじん)もなく、さも憂わしそうで、そしてまたあどけなく途方に暮れた趣きもあッた。たれをか待合わせているのとみえて、何か幽かに物音がしたかと思うと、少女はあわてて頭を擡(もた)げて、振り反ってみて、その大方の涼しい眼、牝鹿のもののようにおどおどしたのをば、薄暗い木蔭でひからせた。クワッと見ひらいた眼を物音のした方へ向けて、シゲシゲ視詰めたまま、しばらく聞きすましていたが、やがて溜息を吐いて、静にこなたを振り向いて、前よりはひときわ低く屈みながら、またおもむろに花を択(え)り分け初めた。擦(す)りあかめたまぶちに、厳しく拘攣(こうれん)する唇、またしても濃い睫毛の下よりこぼれでる涙の雫(しずく)は流れよどみて日にきらめいた。こうしてしばらく時刻を移していたが、その間少女は、かわいそうに、みじろぎをもせず、ただおりおり手で涙を拭いながら、聞きすましてのみいた、ひたすら聞きすましてのみいた……フとまたガサガサと物音がした、――少女はブルブルと震えた。
【2006/02/18 20:52 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
幽(かす)
 秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺(かば)の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖(あたた)かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧(さか)し気(げ)に見える人の眼のごとくに朗(ほがら)かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽(かす)かに戦(そよ)いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌(しゃべ)りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈(くま)なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢(つや)を帯び、地上に散り布(し)いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色(こんじき)を放ち、頭(かしら)をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟(つ)えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
【2006/02/18 20:51 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
随分空想家
「まあ……」少女はそんな突拍子もない少年の話を聴きながら顔を真っ赤にしていた。それに気がつくと、少年も顔を真っ赤にした。――そうしてしばらく気まり悪そうに二人は黙って歩いていたが、今度は少女の方が口をきいた。
「あなたは随分空想家ね」
「そうかなあ……」どうもこれは少年の口癖のように見える。
 気がついて見ると、いつの間にか二人の前には五六人の、支那人の子供たちが立ちはだかっていて冷やかすように彼等を見上げているのである。二人は一層まごまごした。いつの間にこんな支那人町へなど足を踏み入れたのかしら。……
 それは何処(どこ)の町にもぽかぽかと日の当っているような、何となくうっとりするような、五月の或る午後のことであった。
【2006/02/18 20:50 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
「ちょっとあれへ上って見ないこと?」
「ちょっとあれへ上って見ないこと?」
「うん……」少年は生返事をしている。
「そんなら私が先へ行くわ……」
 それでもと云いかねて、やはり少年は自分が先に立ってその木蔦のからんだ階段をすこし危なっかしそうな足つきで上って行った。が、その中途まで上ったかと思うと、少年は急に足を止めた。そこの壁の上に彼の顔を赧(あか)くするような落書の描いてあるのを発見したからである。少年はくるりと踵(きびす)を返すと、
「やっぱり悪いから止(よ)そうよ」と云いながら、ずんずん一人で先に降りてしまった。少女はそこに一人きり取り残されて、しばらく呆気(あっけ)にとられているように見えたが、やがて彼女も彼のあとを追った。
 そうしてそのまま二人は彼等の love-scene には持ってこいに見えたその空家の庭からとうとう立ち去ったのである。
 少年はその家を遠ざかるにつれ、つくづく自分に冒険心の足りないことを悲しむばかりであった。そうしてその辺の外人居留地かも知れない洋館ばかりの立ち並んだ見知らない町の中を少女と肩をならべて歩きながら、そういう弱虫の自分に対して自分自身で腹を立ててでもいるかのように、急に何時(いつ)になくおしゃべりになった。
「君、メリメエという人の小説を読んだことがある?」
「いいえ、ないわ」
「そうかい、僕はその人の小説がとても好きなんだがなあ……僕はその人の短篇でね、『マダム・ルクレエス街』というのを読んだことがあるんだ……その中にね、丁度、今みたいな家が出てくるんだぜ、それは伊太利(イタリイ)の話だけれど……ところがその空家の二階の長椅子がね、一つだけ埃がちっとも溜(た)まっていなくて、何だか始終人に使われている見たいだったんだ……実はそこでね、毎晩あるお姫様がその恋人とあいびきをしていたということが後でわかるんだよ。そう云えば、今のあそこの二階もね、僕は何だかそんな秘密でもありそうな気がしてならなかったよ……やはりさっき上って見ればよかったなあ……」
【2006/02/18 20:50 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
台所道具
或る日のこと、その坂道を一人の少年と一人の少女とが互いに肩をすりあわせるようにして降りてきた。小さな恋人たちなのかも知れない。そう云えば、さっきから自分等のための love-scene によいような場所をさんざ捜しまわっているのだが、それがどうしても見つからないですっかり困ってしまっているような二人に見えないこともない。――
 そんな二人がその坂の中途まで下りて来て、ふと足を止めて、そういう絵のような空家とその庭とを目に入れたのである。それを見ると、二人は互いに目と目とでこんな会話をしたようだった。「ここなら誰にも見られっこはあるまい」「ええ、私もそう思うの……」
 そう決めたのか、二人はその坂の中腹から彼等の脊ぐらいある雑草をかき分けながらその空家の庭へずんずんはいって行った。ちょっと不安そうな眼つきで横文字の書いてある標札をちらりと見ながら。……
 その庭園の奥ぶかくには、彼等が名前を知らないような花がどっさり咲いていた。少年はその一つの叢(くさむら)を指しながら、
「やあ、薔薇(ばら)が咲いていらあ……」と、いくぶん上ずった声で云った。
「あら、あれは薔薇じゃありませんわ」少女の声はまだいくらか少年よりも落着いている。「あれは蛇苺(へびいちご)よ。あなたは花さえ見れば何でも薔薇だと思う人ね……」
「そうかなあ……」
 少年はすこし不満そうに見える。それから二人は黙ったままその空家のまわりを一巡して見た。窓硝子(まどガラス)がところどころ破れている。が、その破れ目から二人がいくら脊伸びをして覗(のぞ)いて見ても、ひっそりと垂れている埃(ほこり)まみれのカアテンにさえぎられて、その中の様子はよく見えなかった。それでも台所のところなどは内部がちらりと見えた。そこなどはいろんな台所道具が雑然と散らかっていて、中には倒れたまんまのもあり、そしてそれらのものは一面にこぼれた壁土のようなもので埋もれていた。どうやら震災の時からそっくりそのままにされているらしい。この家の持主である外国人は震災の時死んでしまったかも知れない。――二人はその空家を垣の中途から最初見たときふと彼等の心に浮んだ或る考えをいつか忘れてしまったかのように、そんなことばかりしゃべり合っている。
【2006/02/18 20:50 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
恋愛過程
自然は、人間の恋愛を唯だ男性と女性との+《プラス》だけでは終らせず、精神に於て、男をA、女をBとすれば A+A×B:B+B×A[#「A+A×B:B+B×A」は横書き]という風な関係にすると思われます。そして、数学と全然違うところは、これらの関係がまるで逆になって、+《プラス》のところが-(マイナス)になり、×《タイム》が÷《デバイデッド》となっても、一度真面目に恋愛した人間の心では、決して元の杢阿彌(もくあみ)の単一なAならA、BならBには還ることがないと云うことです。きっと、より宏い人生への理解、愛、認識が加えられています。恋愛ばかりは、真に主観的な豊富さから見ると、失っても得ても、ともに尊い、有難いものと云えます。その一段深まり拡った人間と自然との生存を味わせようとして、神は人間に複雑な全心的な恋愛の切な情を与えたのかと思われることさえある程です。
 恋愛の真実な経験は間違いなく生活内容を増大させます。けれども、私には、恋愛生活ばかり切りはなして、それ自身全般的なものとは考えられません。恋愛過程を含む或る人の生活とは云えても。人間は生れるときから死ぬまで恋愛ばかりに没頭しているのではありません。又、他人の恋愛問題と自分のそれとは全然個々独立したもので、それぞれ違った価値と内容運命とを持っている筈のものです。恋愛とさえ云えば、十が十純粋な麗わしい花であるとも思えません。
 私は、恋愛生活と云うものを余り誇張してとり扱うのは嫌いです。恋愛がそれに価いしないと云うのではなく、正反対に、本当の恋愛は人間一生の間に一遍めぐり会えるか会えないかのものであり、その外観では移ろい易く見える経過に深い自然の意志のようなものが感じられ、又よき恋愛をすることは容易な業ではないと感じているからです。

 恋愛生活と芸術創造とは何処か似たところがあります。
 よき作品も創りたいとあせって、外に求めても時が熟さなければ、何より大切な心の準備が出来ない。つつましい、引しまった、鋭い精神の上に、徐々日の出のように方向が見え、自分の意企が輝いて来たら、嬉しさではしゃいではいけない。じっと心を守り、余分な精力と注意は一滴も他に浪費しないように、念を入れ心をあつめて、ペンならペン、絵筆なら絵筆を執るべきでしょう。
 恋愛に対してもそうであろうと思われます。決して卑しく求むべきではないし、最上とか何とか先入的な価値の概念は持つべきでないし、同時に、恋愛の本質に素直でそこから自分の誠実さが感じ理解出来るだけのものを余りなく得て全生活を浄め豊かにするだけの、視野の宏大な愛、人間、自分への信任が大切と思われます。
【2006/02/18 20:49 】
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。